2016年4月18日月曜日

2016年4月3日

2016年4月3日 主日礼拝 説教要旨
  「一緒に歩き始められた」宇野稔牧師
  (ルカによる福音書24章28〜35節)


 二人の弟子がエルサレムを離れてエマオに向けて歩いています。途中話しているのはエルサレムでの出来事でした。何かあったのか。それはイエスが十字架に架けられたという事です。その時に弟子もこの二人もどのような態度をとったのでしょうか。それはイエスのことを否認する、あるいは逃げ去るということをしたのです。
 イエスが最も苦しいと感じていた時に弟子たちはそこに居合わせることが出来なかった。自分たちも捕まって十字架に架けられること、殺されることを恐れたのです。だから逃げ去ったにちがいありません。
 このことは私たちにも無縁ではありません。目の前に苦しむ人がいた時に寄り添うことが出来ずにいる。知らぬふりをして通りすぎる、イエスを裏切り見捨てた弟子たちと何ら変わらないのであります。
 二人が暗い様子で歩いていると一人の人が近づいて一緒に歩き始める。それが誰であるかわからない。そして、食事を共にした時に初めてイエスだと気付いたのです。しかしその瞬間にイエスの姿は見えなくなったが、その時、以前イエスに聖書の説き証しをしてもらっている時に心が熱く燃えたことを。ここで気づくことは、イエスは彼らが気づく前にすでに近づいて一緒に歩んでくださっていたということです。この弟子はイエスが十字架に架かった一番苦しい時に、側にいることが出来ず逃げ去った人です。
 その弟子たちにイエスは近づき共に歩んでくださっているのです。裏切り通り過ぎようとしているにも関わらず、私たちに近づき一緒に歩もうとされておられます。
 イエスは、私たちが一番苦しい時に自分を裏切り逃げ去った者のところに再度近づき、安心させ心篤くしてくださるのです。私たちがどんなに苦しい時でも、困難な中にある時も、主イエス・キリストが私たちが気づかないうちに共に歩んでくださっていることを心に留めてしっかりと希望に向かって歩んで行きましょう。

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