2016年5月3日火曜日

2016年4月17日

2016年4月17日 主日礼拝 説教要旨
  「大漁を保証するみ言葉」宇野稔牧師
  (ヨハネによる福音書21章1〜8節)

 十字架にて殺されてしまったイエス・キリストの最後は、弟子たちには失望とか落胆という言葉では表せない程の大きな衝撃でした。いわば虚脱状態のままちりぢりになり、エルサレムからガリラヤ湖に帰って来ました。
 そして、ペトロが「私は漁に行くのだ」というと他の連中も一緒に出かけ網を打ちますが、全然収穫はなかったのです。
 焦りと疲れで茫然としている弟子たちにイエスは舟の右の方へ網を下ろしてみなさい(6節)と云われます。そうしてみると魚がたくさん獲れたというわけです。考えてみると、今までは人の判断や努力だけで自分たちはやって来たというのですが、今はイエス・キリストが指揮者になったからです。(右とは神の側、左とは人の側を指している意味です)。私たちの人生においても誰が指揮者になっているか、教会の指揮者が一体誰であるかということが大切なことです。
 しかし、常識や経験が否と告げることを、ただキリストの言であるという理由だけで行動に移すことは大変困難を覚えるでしょう。現代社会も私たちの経験や知識や努力さえも徒労に終わってしまうような社会です。戦争や事故、様々な災害が一切を無にしてしまうことを沢山見聞きします。
 聖書は「主に結ばれているなら自分たちの労苦が決して無駄にならないことを、あなた方は知っているはずです(コリントの信徒への手紙Ⅰ,15:58)」と語ります。復活のキリストによって神から与えられた勝利の故に「労苦が無駄になることはない」のです。これが経験や努力よりも遥かに確実な保証です。
 このキリストの言に従うことが勝利と大漁の秘訣です。この復活のキリストの故に私たちは徒労でない労働を続けることが赦されているのです。今日は教会の定期総会の日です。今年の歩みで、常識や経験に行き詰った時、呟きを止めて、岸に立たされる主の言葉に聴き、指示通りの歩みを為すものになりたいと思うのです。

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