2016年9月10日土曜日

2016年8月21日

2016年8月21日 主日礼拝説教要旨
  「全ては神から出て、神に向かう」宇野稔牧師
  (ローマの信徒への手紙11章33〜36節)

 人間の不従順さえ、信仰に変えてしまう神の救いの業(32節)にパウロは感嘆し、歌をうたうように書き出したのが、この箇所です。
 その内容は、「神の富、知恵、知識の何と深いことか」(33節)で始まります。パウロはこの3つのものに感動しています。神の富、それはどんなものでしょうか。私たちが求める、豊かさはそれが金銭的であれ、心の豊かさであれ「豊か」であることを求めています。
 しかし、神の豊かさは「貧しくなる」ことでした。神は神であることを捨てて、人間となってくださったのです。貧しくなって一緒に生きてくださったのです。その豊かさをもたらしたものが「神の知恵」でした。私たちの知恵は最終的に自分の欲得にあり、他者との間に悲しい虚しいものしか残せないようなものなのです。パウロは人間の知恵に対して、神の知恵に感動しているのです。他の存在のために自分を捨てることを決断し、愛を貫いて死に向かうのです。それが豊かな関係を生み出していくのです。イスラエルから始まって、世界を変えてゆき、今も福音は世界に広がりつつあるのです。
 神の知恵の前に神の知識があり、即ち、神の認識があったのです。神における人間の姿は、神を裏切り続け、離反し続ける存在でした。しかし、神はそのような人間の現実を知りつつ、人間を愛すべき存在として認識してくださったのです。パウロはその点にも感動しています。
 私たちは教会に集まり自らの事としてこのパウロの姿勢に注目しなければなりません。私たちは、救いに値する立派な点や素晴らしい点があったわけではありません。ただ神がこの私たちのために貧しくなってくださり、その知恵をもって愛を貫いてくださり、神の知識を持って「愛すべきもの」と認識してくださり、私たちを救ってくださったのです。
 私たちもパウロと共に神を讃美しましょう。私たちは神によって生まれ、導かれ、神を目指して歩んでいます。36節のことばは、パウロがそのことを語っているのです

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