2017年2月6日月曜日

2017年1月22日

2017年1月22日 主日礼拝説教要旨
  「レプトン銅貨2枚」宇野稔牧師
   (マルコによる12章41〜44節)

 聖書に登場する律法学者はまじめな生活態度と生活上の権威者のような存在で、「裁判長」の様な役割をする者でした。人々は服従していましたが、イエスはその権威者の権威を引きずり下ろすのです。律法学者には真の権威はないと宣言したのです。人々は「では本当の権威者は誰なのか」との問に今日の物語が挿入されたと考えていいでしょう。
 神殿での献金の場面です。ここで注目を集めるのは金持ちです。当時多くの財産を持っていることは、神の祝福のしるしだと考えられていましたし、立派な人間の証しでした。
 しかし、そこに一人のやもめが来ます。隅の方でそっと献金しました。男性本位の社会で夫に先立たれてしまった女性は最も来るし生活を強いられる人々でした。 人々は、多額の献金をする金持ちに目を向けますが、イエス・キリストの目は隅でそっと献金をしたやもめに向けられていたのです。神の視点は小さい者に向けられるのです。強さか弱さかで云うと弱さに向けられるのです。
 私たちはどうでしょうか。神は私たちの弱さを含めて受け容れて下さっていると聞かされても、この世の富、この世界の評価が必要だと思ってしまいます。それこそ私たちの弱さではないでしょうか。真理を知らされていても、やはり目に見える現実の力を望んでしまいます。やもめはレプトン銅貨2枚を献げます。この彼女の全生活を献げよう、即ち「委ねよう」という決断をイエスは賞賛されたのです。私たちは委ねる前に自分の持っているものの大きさを過信したり、少なさに卑下したりするあの律法学者と同じなのです。
 しかし、イエス・キリストは「神はあなたの味方だ。あなたを愛しているのだから神に委ねなさい。心配も不安も全て神に委ねるのです」と言います。最初から全て委ねるのは難しいかも知れません。しかし、私たちはレプトン銅貨2枚、今病んでいること、悩んでいることを委ねることから始めませんか。一日を祈りから始めませんか。その時私たちはイエスの言葉に出会うでしょう。「悲しんでいる人、あなたは幸いである」。

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