2017年4月17日月曜日

2017年4月2日

2017年4月2日 主日礼拝説教要旨
  「この人のしたことを記念して」 宇野稔牧師
  (マルコによる福音書14章1~9節)
 3節でイエスは皮膚病患者シモンの家に入り食事の席に着いたとあります。すなわちイエスは、最後まで最後の瞬間まで人間に仕え通したのです。そのとき一人の女性がそこに入ってきて香油の入った石膏の壺を持ってきてイエスの頭に注ぎかけたのです。壺からすくってかけたというのではなく、壺を壊してしまったと云う行為の中に彼女の決意を感じます。しかし弟子たちはそれを見て憤慨します。もったいないことをしたものだと。ところがイエスは女性をほめたのです。しかも最大級で「世界中で、この人のしたことは記念として語り伝えられるだろう」と。
 人に仕え通したイエスに対して人間の応答は、悲しいことにイエスを殺そうとさえしているのです。しかも自分の出世のことで頭がいっぱいで仲間割れが始まり、一人はイエスを裏切ろうとしています。唯の一人もイエスの十字架を共にしようという思いの人間はいなかったのです。
 これは実に悲しいことであり、残念なことです。全くにイエスは孤独です。荒野を一人で行くような思いであったに違いありません。そこに一人の女性が現れ、自分の全てを(それがただしいかどうかということではなくて)彼女の感性の中で自分の出来る限りで最高のことをイエスに今、行ったのです。彼女は十字架が何かも判ってしたわけではなかったのです。しかし、出来る限りのことをしようという心があったのです。そして、その事がたった一人、イエスの死を、十字架の死を共有していることになったのです。私は、香油を受けながら涙しているイエスの姿が目に浮かびます。たった一人十字架を分け合うことの出来た人と出会ったイエスの喜びです。
 私たちの奉仕や歩みはいずれも、不完全なものにすぎません。しかし、主イエスは不完全なものを用いてくださる方なのです。そして「彼女を記念しよう」と喜んでくださる方なのです。私たちも受難節にあたり、心を込めて奉仕をし、心を込めて歩み続けましょう。

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