2017年5月29日月曜日

2017年5月14日

2017年5月14日 主日礼拝説教要旨
「世を愛される神」 宇野 稔牧師
ヨハネによる福音書3章16~21節
 ニコデモという男とイエスとの出会いが対話で語られている場面です。イエスはニコデモに対して「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」と云います。この「世」という言葉は被造物全体、つまりこの世界全体を指す言葉でもあります。そのほとんどは「神に対立、反抗する世界や勢力」を指しています。神という愛に対抗するこの世の力、神の愛をないがしろにする思い、それらを指して「世」を読んでいます。
 だから、イエスはニコデモに向かって「神様は独り子をお与えになったほどにあなた(ニコデモ)という今、私と対立している……つまり、この世に倣おうとする存在を愛された」と語っているのです。そのことを聞いたニコデモが、その後どうしたのか詳しいことは書かれていません。しかし迷いと確信との間を行ったり来たりしながら気がついたことは、自分に新しい価値観が生まれたということなのです。それが「世を愛する」という生き方なのです。自分に敵対しようとする、また愛に敵対しようとする、その存在すらも愛するという生き方です。それは実にイエス・キリストそのものです。
 私たちも、迷いと確信との間を揺れ動く旅を続けています。はっきりと信仰を言い表せないこともあります。むしろ、神の思いに逆らっていることの方が多いかもしれません。本当に神が愛であると信じていいのか、と疑いたくなるような暗闇に落ちていきます。しかし、暗闇の中を歩むうちに、世をも愛される神に出会うのです。神は私のためにその独り子を「神との対立」の中に遣わし、その独り子は私自身の「神との対立」の故に十字架にかかって下さったのです。この世に流される弱さや絶望の中で働いて下さり、それ故に十字架について下さるのです。世に生き世にある私たちをそれでも愛して下さる主に信頼して歩みましょう。

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