2017年6月12日月曜日

2017年5月28日

2017年5月28日 主日礼拝説教要旨
「しっかりと立ちなさい」 宇野 稔牧師
フィリピの信徒への手紙3章17~4章1節
 4章1節は3章のまとめというだけでなくフィリピ書全体のまとめであるとも考えられます。先ず目に付くのは「愛し」「慕っている」「冠である」というパウロの言葉です。過剰な表現であるという感じは否めませんが、それほど感極まってこの手紙を書いているのでしょう。故に、1節はパウロの思いがこもっているわけです。
 それにしてもフィリピの教会の人全てを愛しているとは云い難いのではないでしょうか。中には意見の合わない、パウロに反対する人もいたに違いありません。「すべての人を愛する」と聞いて、「それは理想論に過ぎない」と反射的に思い「わたしは全ての人を愛せるほど強くない」と自己弁護するのです。イエスは、私たちに何も資格がないのに私たちを愛して下さったのです。それは十字架によって示されているのです。それは能力のあるものを愛する愛ではなく、資格のないものを愛する愛なのです。そしてその神に従うならば、相手の状況や相手の事態ではなく、それを越えて「愛し合う」というのがキリスト者なのです。パウロの言葉はその信仰に基づいています。人間として生きる時、私たちは他者をなかなか愛することが出来ません。しかし、もし私たちがイエス・キリストの前にまっすぐに立つ時自分の好き嫌いを越えてすべての人は「愛するもの」であり「喜び」であり「冠」であるのです。なぜならばその人もまたイエスに愛されているからです。時に「赦せない」「愛せない」という思いに駆られる時、イエスによってすでに赦されており、愛されているという事実の前に立っているのです。
 フィリピの教会は、大きな群れではなくむしろ小さな群れでした。しかし決して臆することはないとパウロは云うのです。どんな困難な状況にあっても「しっかり立って」と勧めています。イエスの福音に生きイエスの愛を知っている以上この世界のどんな力よりも大きな出来事なのです。イエスの愛を心に携えて出ていくのです。「愛する者よしっかりと立ちなさい」イエスからの約束の言葉です。

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