2017年7月11日火曜日

2017年6月25日

2017年6月25日 主日礼拝説教要旨
「平和の神が共にいる」 宇野稔牧師
フィリピの信徒への手紙4章8~9節
 この書を書いた使徒パウロは、元々キリスト教徒を迫害する人物でした。それがキリストに出会って劇的な人生の変更をした人物なのです。迫害者からキリストのことを宣べ伝える人物となったのです。それ以来は全力で世界中を駆け巡り、イエスこそがキリストであると宣べ伝えて来ました。ですがそのような活動は、順風満帆と言えない時も多々あったに違いありません。しかしパウロは自分の人生について「喜んでいる」というのです。しかもこの手紙を書いている時は牢獄に入れられていたのです。パウロはフィリピの教会宛てにこう書いています。「すべて真実なこと、気高いこと、正しいこと、清いこと、愛すべきこと、名誉なことを心に留めなさい」と云うのです。
 この世界に果たしてそんなものがあるでしょうか。騙されているということは「これこそ真実なことだ」と思っていたのに、それがウソだということでしょう。だから私たちは苦しみ、辛く涙を流すのです。しかしパウロは、この世界にそれらがあると証言します。それは人間のことではなく、人間として生きて下さったイエス・キリストのことです。確かに裏切られ、だまされ、どうしようもない立場に追い込まれてしまった時、そして恨みや妬みが胸をかきむしるような時、「イエス・キリストのことを心に留めなさい」と云うのです。
 パウロは獄中で死を目前にしながらも、死への恐怖を感じさせない、それでいて穏やかな愛に満ちた手紙を書いたので、フィリピの信徒への手紙は「白鳥の手紙」とも表現されます。私たちの人生は何があるかわかりません。ヨハネ12:24「一粒の麦は地に落ちて死ななければ一粒の麦のままである。だが死ねば多くの実を結ぶ」とあります。哀しみは変わらない、しかし、その哀しみの闇に光を与えることの出来る方、それが神なのです。イエス・キリストなのです。イエスを思う時、そしてイエスの御心を生きる時、神の平和があなた方を包むのです。

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