2017年8月7日月曜日

2017年7月23日

2017年7月23日 主日礼拝説教要旨
「深遠な愛」 宇野 稔牧師
ローマの信徒への手紙 11章33~36節
 パウロは神を讃美しています。つまりここでとても感動しているのです。その内容は33節「神の富と知識と知恵の何と深いことか」、つまりパウロは神の富、神の知恵、神の知識、この3つのものに感動しているのです。先ず神の富とは、どんなものでしょうか。富とは「豊かさ」のことです。私たちは金銭的であれ、「豊」であることを求めています。しかし神は「貧しくなる」ことによって豊かになられたのです。即ち、神であることを捨てて人間となり、貧しく飼い葉桶の中に身を置いてくださったのです。貧しくなられて私たちと分かち合うことを選んでくださったのです。それが神の豊かさでした。その豊かさをもたらしたものが「神の知恵」でした。しかし、私たちの知恵は自分の欲ばかり考えているのが現状です。
 そのような人間の知恵に対して、神の知恵は他の存在のために自分を捨てることを決断するのです。愛を貫いて死に向かうのです。それが本当に豊かな絆を生み出していくのです。ペトロを、パウロを、世界を、変えていったのです。そこには神の知識があります。知恵と知識を明確にするために「認識」と考えます。私たちはそういう認識からすると、神の前にある人間の姿はあまりにも価値のないものであり、捨てるべき存在でしかなかったものです。しかし神の認識は、人間の現実を知りつつ、人間を愛すべき存在と認識して下さったのです。憎むべき存在ではなく、捨てるべき存在でもなく、救うべき存在であると認識されたのです。
 少なくともその理由は人間の側には一切ありません。ただ神が、認識し、判断し、決断して下さったのです。本来捨てるべきものを愛すべき存在として認識して下さったその神の知識にパウロは感謝しているのです。ただ神がこの教会に集う群れと共にあって、神の知識をもって「愛すべき群れ」として育てていくために「神の知恵」をもって神自身が貧しくなって神の富と豊かさを私たちに与えて下さったのです。

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