2017年8月15日火曜日

2017年7月30日

2017年7月30日 主日礼拝説教要旨
「イエスの恵みがあるように」 宇野 稔牧師
フィリピの信徒への手紙 4章21~23節
 21節の「聖なる者たち」とは、清廉潔白な人を指す言葉ではなく「神に愛され」「神に導かれている」人間という意味です。人間一人ひとりは決して完璧な者ではなくむしろ欠けの多い存在です。その人間の性質によって「聖」なのではなく、そのような私たちに神の愛をもって関わって下さるという意味において「聖なる者」なのです。その私たちと神がどのように関わっているかを示すために「キリストイエスに結ばれている」という言葉が書かれています。
 人間的には弱く、もろく、歪んだ私たちであるにもかかわらず、キリストイエスの十字架と復活に結ばれていることによって「神のもの」とされ「聖なるもの」とされたのです。教会に集う私たちは、キリストに結ばれるから教会に連なり、仲間となり、友人となっているのです。これが原点なのです。苦しい時も励まし合い、感謝し、喜びあえるのはお互いにその原点を持っているからです。これこそが教会という交わりの中心だということを、パウロは最後にもう一度フィリピの信徒に伝えているのです。それは同時に私たちに告げられていることでもあります。
 教会では、弱くとも、もろくとも、歪んでおろうとも神に選ばれてここにいるということに最大の価値が置かれるのです。そこで大切なことは祈ることです。パウロは「よろしく伝えてください」「よろしくと云って下さい」と語っています。聖徒から聖徒へ、イエス・キリストの十字架によって生命を与えられたのだから「よろしく」というのはあなたのことを祈っているとのことです。
 投獄という状況、明日をもしれない状況の中でもパウロは使徒としての使命を果たしていました。しかもそれはパウロ自身が思いも及ばないところで自分が用いられて、キリストが宣べ伝えられているということを経験するのです。孤独ではないのです。締めくくるに当たってキリストの恵みがあなた方の霊と共にあるようにと結んでいます。存在の根源的なところ、深い土台のようなところにという意味であります。

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