2017年12月4日月曜日

2017年11月19日

2017年11月19日 降誕前節第6主日礼拝説教要旨
「ともし火を高く上げよう」 宇野稔牧師
ルカによる福音書 8:16~18節

 2000年前の人々は経験的に、闇の中に輝くともし火の力を知っていたのでしょう。ですからイエス・キリストがこの世界に来て下さったという喜びの知らせを「ともし火」と表現しました。16節で語られていることもそのことです。ともし火を隠す人はいないはずです。一見当たり前のことを述べているのですが、ここにはイエスの当時の社会に対する批判が込められているのです。ともし火は神の御旨だったに違いありません。本来神のことを語るべき大祭司たち、ファリサイ派や律法学者たちは、その神の愛を人々から隠してしまっていたのです。ともし火は消えるかもしれないという可能性をはらんでいます。それが当時の社会の状態でした。厳しい迫害の中でこの福音書は書かれているのです。福音は文字通り風前のともし火だったのです。歴史の風の中で消えていく可能性を感じさせる程に弱い存在だったと云ってもよいでしょう。
 しかし、その迫害の中でもルカが確信しているのは、風前のともし火のように弱い存在に映るかもしれないが、福音こそが闇の世の中に輝くともし火であるということです。ともし火、つまり福音の言葉は「どう聞くべきか」が大事なのです。「ともし火」自体が問題なのではなく、それをどう受け止めるかという私たちの側の問題として、ルカは「どう聞くべきか注意しなさい(18節)」と語ります。福音を聞く時に、それは「決して諦めない」ということです。ともし火は、この世界の中では小さく弱いものに見えます。福音がそうであるように愛や平和も「ともし火」のような存在です。時代の強風の中に怯えるような心境になることもあります。でも諦めてはいけません。ともし火をかかげ続けるのです。
 神は愛であり、その愛こそ最も偉大なものであることを啓示されているのです。やがてこのともし火が、愛と平和がこの世界を包み込むのです。故に一層ともし火を高くかかげ、諦めないで粘り強く、希望と信仰をもって愛と平和のともし火をかかげ続けましょう。

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