2018年3月20日火曜日

2018年3月4日

2018年3月4日 受難節第3主日礼拝説教要旨
  「優れた方とは」 宇野稔牧師
   ルカによる福音書 3:15~22節
 混乱と困惑の時代にバプテスマのヨハネが現れて、神の裁きの日が近いので悔い改めるようにと人々にすすめます。神の前に悔い改める必要があると説いたヨハネの言動に人々はヨハネこそメシアではないかと思うのです。しかしヨハネは自分が救世主であることを否定し16節を語り、自分はやがて来るメシアと比べるなら僕の値打ちもないと云ったのです。ただイエスが来ることを人々に宣べ伝え、何者であるかについて語ったことこそヨハネの使命だとルカは考えたのです。さらに重要な役割がイエス・キリストに洗礼を授けたということでした。しかしながら、ヨハネの洗礼は神の前に罪を犯した人がそのことを悔い改めるものでしたが、どうしてイエスはこの洗礼を受けられたのでしょうか。
 確かにイエスは神の子なのですから、全てを支配することが出来るでしょう。その方がその権威と力の一切を行使せず、洗礼を自ら受けることによって本当の救い主とはどういうものかを示されたのでした。全能の神が人間に徹底的に共にいようとする、悲しみ、辛さ、寂しさ、切なさ、全てを担い背負う、そういう愛が人を本当の意味で救うということを示すことだったのです。罪の洗礼を人と共に受けることに置いて、救い主の姿を表して下さったのです。ヨハネはイエス・キリストを「私より優れた方」と紹介していましたが、優れたという「にんべん」は人間が互いに支え合っている姿です。「あなたの憂いを自分の憂いとする」のです。ご自分の痛みをご自身の痛みとして下さった、それが神の愛なのだということをイエスの洗礼は示しているのです。
 私たちは神に愛されている存在です。全能者の愛を受ける存在なのです。神はここにおられ、ここであなたを愛し、あなたと共に常に一緒です。私たちの憂いをそっと担おうとして下さっているのです。優れた方が来られる。ヨハネは私たちに救い主を紹介したのです。確かに受け止めましょう。

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