2018年5月8日火曜日

2018年4月22日

2018年4月22日 復活節第4主日礼拝説教要旨
  「エマオ途上のキリスト」 山下毅伝道師
   ルカによる福音書 24:13~53節
内村鑑三の娘ルツ子は、確かなキリストの信仰を持っていました。臨終の3時間前両親と共に聖餐にあずかり、ルツ子は「感謝」の言葉を語り、顔には歓喜の光がただよっていました。1912年1月12日「もう行きます」との言葉を残して息絶えました。彼女の死顔には口元に微笑(ほほえみ)が浮かんでいました。ルツ子の魂には復活されたイエスの聖霊が宿っていました。この出来事は内村鑑三に大きな影響を与えます。――復活とはどんな出来事でしょう。復活は向こう側から来る真理です、神は生きておられます。イエス・キリストは私たちの目の前にある死の墓を越えて生きておられます。ヨハネによる福音書11章25節に「わたしは復活であり、命である、わたしを信じるものは、死んでも生きる」と述べられています。
ルカ24章でクレオパ等二人の弟子が、エルサレムから今、逃れて歩いています。彼らは期待していたイエスが十字架にかかり、絶望の中を暗い顔をして歩いていました。歩いているときもう一人の方が、共に歩いてくださり、二人の弟子たちに、「メシアはこういう苦しみを受けて、栄光にはいるはずではなかったか」と聖書全体を説き証します。心がにぶくなった弟子たちをおいて、イエスはさらに進もうとされますが、弟子たちが引き留めて、食卓を共にします。聖餐にあずかるのです。その時、パンを裂かれているのは、復活されたイエスだと二人の弟子たちは分かります。内村鑑三の娘ルツ子も聖霊を受けたように、弟子たちも聖霊を受けたのです。 「どんな人でも、聖霊によらなければ、イエスを主だといえません。」復活のイエスとの出会いは、私たちを根本的に変革します。人生に絶望している人間でも、復活のイエスに「助けてください!」と心から叫ぶのなら、私たちの人生に根本的な変革が与えられるのです。イエス・キリストは死に勝利したように、私たちも死に勝利するのです。

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