2018年5月14日月曜日

2018年4月29日

2018年4月29日 復活節第5主日礼拝説教要旨
  「お米をください」 桝田翔希伝道師
  マタイによる福音書 12:38~42節
1900年代に、近代産業が発達する中で労働者階級が生まれ、労働問題が生まれだします。そのような問題に向き合うことから職域伝道という考えが始まります。今日の「労働聖日」は1960年ごろに「職域伝道」の働きから定められました。
さて今日の箇所ではイエスと敵対していた律法学者とファリサイ人とのやり取りが描かれています。「先生、しるしを見せてください」と言われ、イエスは突っぱねています。私たちも目の前で、実際に何か奇跡的なことが起ればもっと簡単に聖書の言葉を信じることが出来るかもしれません。しかしここでは、ファリサイ人や律法学者が目の前にイエスという人を見ておきながらも、「しるし」という肩書や保証を通してでしか、間接的にしかイエスに出会おうとしない姿が描かれています。職域伝道という考えは神から教会に与えられた恵みを社会に広めるという考えではなく、神は教会よりも先に苦しみに気づき宣教しておられるという考えが根底にありました。最後に釜ヶ崎の「いこい食堂」で働かれた金井愛明牧師が炊き出しの為に書かれた「お米をください」という手紙(『イエスが渡すあなたへのバトン』p.253)の一部を紹介したいと思います。
主の聖名を讃美いたします。今日はお米が欲しくてお願いの手紙を書きました。炊き出しが始まって18年になるが、私は毎日炊き出しをみつめてきた。豊かだと言われる日本で1000人が食を求めて並んでいる姿を目の前にしている。もう一度原点に帰って炊き出しに並んでいる労働者を救済の対象ではなく、戦いの同志であることを確認しながら、炊き出しを続けていきます。ここから始めます。皆さんの祈りと、こころをおにぎりにして釜ヶ崎の人びとに届けます。おにぎりを握りにきてください。
金井先生が神の福音を労働者に教えるのではなく、同志である労働者から受け取っている姿を感じました。私たちはどこから始めたらいいのでしょうか。信じられない、保証が欲しいと今日の箇所のように私たちも求めてしまいそうになります。私たちが求めるような神の業はどこにあるのか、それは社会の隅々の悲しみの中に神がすでに赴き広めておられるのです。そのような業に気づきながら神を証するものでありたい。

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